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行動が制限される「自由の村」テソンドン(臺城洞)とは?

筆者

안녕하세요アンニョンハセヨ!
韓国探検ちゃんねるです!

先日ふと、眠れずにGoogle Earthで南北の軍事境界線の辺りを見ていたら(真夜中に何をやっているんだ…)不思議な場所を見つけました。

南北の軍事境界線に村が!

よく見ると集落左下の畑が北朝鮮側に飛び出してるけど
Googleが線をずれて引いてしまっているだけ!?

筆者

今回は南北の軍事境界線すれすれ、非武装地帯(DMZ)の中に残された唯一の集落である臺城洞(韓国語表記:대성동テソンドン)についてご紹介します。

自由の村臺城洞マウルとは

臺城洞テソンドンマウルとは、ドンと付いていますが、実際には京畿道坡州市郡内面造山里キョンギド パジュシ グンネミョン ジョサンニに位置する集落です。

この集落は南北の分断の象徴でもある板門店パンムンジョムから南に500mしか離れておらず、西に400mも進むと北朝鮮との軍事境界線があります。

軍事境界線がどうなっているかはあまり日本まで情報が入ってきませんが、軍事境界線そのものには鉄柵などは無く、標識や杭が刺さっているだけといいます。

そしてこの杭を結んだ線(軍事境界線)から南北それぞれ約2kmの区間が非武装地帯(DMZ)と呼ばれ、侵入を防ぐための鉄柵が設置され、内部は両側の軍人が警備をしていますが、多くはいまだに地雷原となっています。

韓国側では更にそこから5〜10kmは一般人の立ち入りを規制する民間人出入統制区域が設けられていて、戦前からそこに住んでいた人や入植した人以外の出入りは厳しく規制されています。

民間人出入統制区域に住むごく限られた住民でさえ、軍事境界線との間にはDMZがある為、約2kmほどの距離がありますが、この臺城洞テソンドンは韓国で唯一DMZの中にある集落です。つまり、少し歩けば軍事境界線の杭や標識が見られる場所に住んでいるということです。

YouTubeには臺城洞を紹介した短い映像もありました(全て韓国語)。

なぜ自由の村が認められたのか

韓国語で書かれた停戦協定文では該当する項目が見つけられませんでしたが、韓国のメディアによると停戦協定の時に以下の取り決めがあったとされています。

남북 비무장지대에 각각 1곳씩 마을을 둔다
「南北の非武装地帯に各1箇所ずつ集落を置く」

この為、臺城洞テソンドンの西、軍事境界線を越えた先には北朝鮮側にも「平和の村」と名付けられた機井洞(기정동キジョンドン)があります。

北朝鮮側は200名程度が暮らす農村とされていますが、実際には居住者数名程度のいわゆる「宣伝村」とされていて、立ち並んだアパートに人々が生活する気配が感じられず、電気も決まった時間に一斉に点灯・消灯すると言われています。

Public Domain,By Isaac Crumm

また、南北で唯一、お互いの民間人の目に届く場所に集落が位置するため、2004年頃までは毎日北朝鮮による宣伝放送が流されていたほか、南北両方に自国の国旗を掲げる巨大な掲揚台があります。

住民に与えられた特権と制限

2017年時点では約49世帯、193名が居住していて、そのほとんどが農業を営んでいるとのことですが、この集落に住む人にはかなり特殊な待遇があります。

●納税の義務がない
韓国人の三大義務のうちのひとつの納税の義務が免除されています。

●兵役の義務がない
韓国籍の男性は通常満18歳から満28歳の間に兵役に就かなければいけませんが、この村の住人はこの兵役の義務も免除されます。

このふたつだけを見ると、恩恵を受けているような気もしますが、その代償として、基本的な人権に一部制約を受けています。

●管轄しているのは国連軍
現在も休戦状態でいつ状況が急変してもおかしくない地域の為、土地を管理しているのは国連で、その為、上記の免税・兵役免除の特例が適用されています。

●毎日19時に軍による点呼を受けなければいけない
後述する拉致事件や、住民が誤って軍事境界線を越えて捕らえられた事件への対応かと思われます。

●夜間0時から5時までは外出が禁じられている
夜間に軍事境界線を越えて北へ渡る者を防ぐ為と、北からの侵入者や不審者と間違われない為。破ると回数ごとにペナルティがあり、最悪の場合は村から追放される。緊急の際は陸軍と連絡を取って許可を得る必要があります。

●2〜3日前から農作業の予定を軍に提出しなければならならない

●軍事境界線付近での農作業は兵士の監視のもと行わなければならない
こちらも北の人間との接触や拉致・越境を防ぐ為だと考えられます。

●緊急時も救急車が入れない
陸軍のヘリコプターによって病人の搬送が行われるそうです。

●耕作権はあるが土地の所有権は認められていない
土地を売ったり買ったりする事はできません。

●設備が揃っていない
区域内に小学校がありますが、コンビニやスーパー、外食店、理髪店、美容室などは無く、中学校以上の教育機関に通う場合や、用事があると自家用車かバスに乗って隣の文山邑まで出かける必要があります。

●年に8ヶ月以上居住していないと居住権が消失する
学校に通うなどの特別な理由がある場合は申請すれば例外として認められるとのこと。
また、集落地域を管理している国連軍に迷惑をかけた場合は4ヶ月間追放となり、実質永久追放と同義です。

●住めるのは休戦当時の住民の直径子孫と婿養子のみ
兵役忌避を防ぐ為、戸籍の管理の為など理由はいくつか考えられますが、この村で生まれた女性が村の外で結婚をした場合は村を出ていかなければなりません。つまり里帰りするにも申請して入域許可証を得る必要があります。また、婿養子として移住する場合も、その家に男の跡継ぎがいない場合でないと認められず、居住には厳しい審査が課せられると言われています。

●32歳で村に残るか、外地に出るか選択しなければならない
後で事情があり村に居住地を戻したい場合は住民会議と国連司令官の許可を得る必要があります。

●2000年代初頭までは携帯やテレビの電波が入らなかった
北朝鮮の妨害電波の影響もあったと考えられます。

●上水道が整備されたのは2013年
それまでは半世紀以上、貯水タンクの水を使っていたと言われています。

●建物が全て北を向いている為、夏でも寒い
北に向けてアピールする為に、建物を北向きに建てたと言われています。このため、夏でも暖房やホットカーペットが無いと眠れないほど寒いのだとか。

●対南・対北放送が聞こえる為、一昔前までは反共教育が徹底されていた
境界線すれすれの土地柄、共産思想を抱いたり、秘密裏に北側とコネクションを持つのを防ぐ為だと考えられます。

過去には事件も

緊迫した場所であるがゆえに過去にはいくつか事件も起こっているようです。

1958年には、住民の一人が越北し、更に住民の一人が5〜6名の北朝鮮兵士に連れて行かれ殺害されたとされています。

1960年代には北朝鮮兵士による住民射殺事件、1975年には拉致事件も起きているようです。

1997年にも高齢女性とその息子がどんぐり拾いをしているうちに誤って軍事境界線を越えてしまい、5日間拘束されたという事件も起こりました。

また、2012年にも脱北者団体が対北宣伝の風船を飛ばし、北朝鮮が軍事的行為を示唆した事から、全住民が避難したと言われています。

まとめ

韓国国民でありながらも政府ではなく、国連の統制下に暮らす自由の村の人々。

平和と統一を願って名付けられた「自由の村」という通称とは反対に、制限されている事や不便な事のほうが圧倒的に多く、なおかつ、北との軍事境界線に近いというだけで、場合によっては衝突の場になりかねないという事を考えると、生まれ育った住民でない限り、あまり進んで住みたいと思える場所ではなさそうです。

最近では5Gがいち早く導入され、高齢化する村人が身の危険を犯すことなく遠隔で田園に水を撒く事ができるようになったり、村の子供達は国連兵士を招いて英語の教育をうけたり、南北首脳会談で金正恩キム・ジョンウン総書記に花束を渡す役割を担ったりと注目を浴びる事もありますが、今後高齢化が進む中、村がどうなっていくのかも気になるところです。

観光客が興味本位で訪れる場所ではありませんが、村の東側には舗装された比較的大きな道路が通っていて、板門店パンムンジョムにバスツアーで参加する際は、左手側に集落や田園が見えるかと思うので、今後ツアーに参加される際は気にしてみると車窓の景色が少し変わって感じられるかもしれません。

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植竹 智裕

元・世界新聞ライター。旅人(訪問国はアジアを中心に現在31カ国) 韓国歴は2005年の初海外旅行からスタートし、2012年には釜山からソウルまでママチャリで縦断。 オーストラリアでのワーキングホリデー中、田舎町で日本人ただひとり、韓国人に囲まれて生活したおかげあって2019年に韓国語能力検定5級取得。

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