文化

韓国・北朝鮮の行政区画「道」の歴史と一覧

今回は韓国と北朝鮮に跨る朝鮮半島で高麗の時代から使われ始め、現在の「道」の基礎ともなった朝鮮八道パルドについてご紹介します。

始まりは高麗時代

現在、日本における都道府県やアメリカの州に相当する行政区画になっている「道」という概念は、唐(当時の中国)の行政区画を導入し、高麗時代中期の995年に制定された「十道」、次いで1018年に「五道両界制」という地方行政制度が整備された事に端を発します。

関内道
(クァンネド)
中原道
(チュンウォンド)
河南道
(ハナド)
江南道
(カンナド)
嶺南道
(ヨンナド)
嶺東道
(ヨンドンド)
山南道
(サンナド)
海陽道
(ヘヤンド)
朔方道
(サパンド)
浿西道
(ペソド)
十道
楊広道
(ヤングァンド)
慶尚道
(キョンサンド)
全羅道
(チョラド)
交州道
(キョジュド)
西海道
(ソヘド)
北界
(プッケ)
東界
(トンゲ)
五道両界

その後、区画の改編が行われ、首都漢城ハンソン(現在のソウル)の近隣が京畿道になり、1400年代に入り、北部の中国との国境地域に平安道と永吉ヨンギル道(現在の咸鏡道)が成立し、朝鮮半島の八道が揃いました。

八道の一覧

李氏朝鮮時代の1413年に朝鮮八道が制定され、漢城(ソウル)と開城、江華、水原、広州の5つの直轄地を除き、以下のように区分されました。

京畿道のみ「首都の近隣」という意味ですが、それ以外は、道に属する大都市の名前を組み合わせたものです。

1京畿道
(キョンギド)
首都近郊
2忠清道
(チュンチョンド)
忠州(チュンジュ)
清州(チョンジュ)
3慶尚道
(キョンサンド)
慶州(キョンジュ)
尚州(サンジュ)
4全羅道
(チョラド)
全州(チョンジュ)
羅州(ナジュ)
5江原道
(カンウォンド)
江陵(カンヌン)
原州(ウォンジュ)
6平安道
(ピョンアンド)
平壌(ピョンヤン)
安州(アンジュ)
7黄海道
(ファンヘド)
黄州(ファンジュ)
海州(ヘジュ)
8咸鏡道
(ハギョンド)
咸興(ハムン)
鏡城(キョンソン)

これ以降、「朝鮮八道」という言葉は「朝鮮全土」という意味も含むようになりました。

例)朝鮮八道を股にかけた旅芸人集団朝鮮八道を治める など

一度は廃止された

現在も韓国・北朝鮮ともに一番大きな行政区画の単位は「道」ですが、実は1895年に一度廃止された事があります。

1894年から行われていた急進的な近代化改革である甲午改革の一環として、八道が廃止され、二十三府が置かれましたがたった1年で廃止され、再度「道」が復活しました。

この頃、李氏朝鮮では困窮した農民の間で王政に対する不満が爆発し、各地で暴動が起きていて、王朝は清(当時の中国)に救援を求めますが、清は李氏朝鮮の事を属領と称し、日本に対して朝鮮出兵を申告しました。

これに対して朝鮮王朝の独立性を維持する為に日本も介入し、朝鮮半島の近代化を求めましたが、時の王妃で政局を混乱させていた閔妃に反対された事から景福宮を占拠し、開化派の金弘集を立てて内閣を発足させ、改革が進められ、この中で八道廃止が行われました。

同時期に起こった日中戦争で日本が勝利し、朝鮮半島から清が手を引いた後もロシアという大国の脅威が残っていました。この中で閔妃はロシア軍の力を借りてクーデターを起こした事から、日本によって王室内の権力争いに見せかけて暗殺されてしまいました。

こうして日本の要請に従って、明治維新を一部手本にした近代化が進められましたが、これに反発した国民が暴動を起こし、改革は一部未遂に終わり1896年に終結し、地方行政区画も「道」に戻されました。

十三道へ

上記の改革の結果、わずか1年程のブランクを経て「道」が復活する事になりましたが、この時に咸鏡・平安・忠清・慶尚・全羅の五道に関しては、南北に分割され、十三道制が敷かれました。

京畿道1 京畿道
(キョンギド)
忠清道2 忠清北道
(チュンチョンプト)
3 忠清南道
(チュンチョンナド)
慶尚道4 慶尚北道
(キョンサンプト)
5 慶尚南道
(キョンサンナド)
全羅道6 全羅北道
(チョラプト)
7 全羅南道
(チョラナド)
江原道8 江原道
(カンウォンド)
平安道9 平安北道
(ピョンアンプト)
10 平安南道
(ピョンアンナド)
黄海道11 黄海道
(ファンヘド)
咸鏡道12 咸鏡北道
(ハギョンプト)
13 咸鏡南道
(ハギョンナド)

この十三道制は1910年からの日本統治下でも維持されました。

戦後の再分割

朝鮮半島の行政区画は日本の統治から解放され、韓国と北朝鮮の二つの国に分断され、それぞれ更に道が分割された事からより複雑になってしまいました。また、経済発展を遂げる中で、特別市や広域市が制定されて、「道」から分離される場合もあり、2021年現在では以下のような行政区分となっています。

統一時代の十三道現在の行政区画
京畿道韓国側
●ソウル特別市
(1946年に特別自由市に昇格・1949年に特別市に改称)

●仁川(インチョン)広域市
(1981年に直轄市に昇格・1995年に広域市に改称)

●京畿道

北朝鮮側
●開城(ケソン)特別市
(2019年に黄海北道から分離し特別市に昇格)

●黄海北道の一部
(分断独立後の1949年に制定)
忠清北道韓国のみ
●忠清北道

●世宗(セジョン)特別自治市の一部
(2012年に分離・制定)
忠清南道韓国のみ
●大田(テジョン)広域市
(1989年に直轄市に昇格・1995年に広域市に改称)

●世宗(セジョン)特別自治市の一部
(2012年に分離・制定)

●忠清南道
慶尚北道韓国のみ
●大邱(テグ)広域市
(1981年に直轄市に昇格・1995年に広域市に改称)

●慶尚北道
(1963年に蔚珍郡が江原道より編入)
慶尚南道韓国のみ
●釜山(プサン)広域市
(1963年に直轄市に昇格・1995年に広域市に改称)

●蔚山(ウサン)広域市
(1997年に広域市に昇格)

●慶尚南道
全羅北道韓国のみ
●全羅北道
全羅南道韓国のみ
●光州(クァンジュ)広域市
(1986年に直轄市に昇格・1995年に広域市に改称)

●全羅南道

●済州(チェジュ)特別自治道
(1946年に道に昇格・2006年に特別自治道に改編)
江原道韓国側
●江原道

●慶尚北道蔚珍(ウジン)郡
(1963年に蔚珍郡が慶尚北道に編入)

北朝鮮側
●江原道
(1896年に十三道制導入に伴い、元山市周辺は咸鏡南道に編入)
平安北道北朝鮮のみ
●平安北道

●慈江道(チャガンド)
(分断独立後の1949年に制定)

●両江道(リャンガンド)の一部
(分断独立後の1954年に制定)
平安南道北朝鮮のみ
●平壌(ピョンヤン)直轄市
(1968年に直轄市に昇格)

●南浦(ナポ)特別市
(1979年に直轄市に昇格・2010年に特別市に再編)

●平安南道
黄海道韓国側
●仁川広域市甕津(オンジン)郡の一部
(朝鮮戦争後、島嶼部のみ韓国領となる)

北朝鮮側
●黄海北道(分断独立後の1949年に制定)

●黄海南道(分断独立後の1949年に制定)
咸鏡北道北朝鮮のみ
●羅先(ラソン)特別市
(2000年に直轄市に昇格・2010年に特別市に再編)

●咸鏡北道

●両江道(リャンガンド)の一部
(分断独立後の1954年に制定)
咸鏡南道北朝鮮のみ
●咸鏡南道

●江原道元山(ウォンサン)市周辺
(1896年に十三道制導入に伴い、元山市周辺が咸鏡南道に編入)

●両江道(リャンガンド)の一部
(分断独立後の1954年に制定)

要約すると、かつては道に属していた大都市が特別市や広域市、直轄市として道から独立した行政権を持つようになり、韓国側では済州特別自治道が誕生、北朝鮮側では慈江道と両江道が誕生し、黄海道が南北に分割されました。

※韓国では北朝鮮に属する道を以北五道と呼び、分断後に誕生した慈江道や両江道を公式には認めていません。

日本に暮らしているとあまりピンと来ないかも知れませんが、神奈川県が相模原県と横浜県に分かれて、更に川崎だけどの県にも属さない特別市として独立するようなイメージでしょうか。

筆者

まとめ

「道」という概念は唐の時代の中国の行政区画が基になっていますが、中国では清朝以来、地方区画が「省」になりました。

日本でも唐の影響を受けて、国(武蔵国、駿河国など)よりもっと広い地方区画として道(東海道や北陸道、山陽道など)が使われましたが、廃藩置県を経て、「道」という概念は北海道の名前に名残を残すのみとなりました。

995年の導入以来、近代化推進時の1年を除いて1,000年以上もの間使われ続けてきた「道」朝鮮民族にとって決して切り離す事が出来ない独自の文化として根付いています。

高速鉄道や高速バスで主要都市間の往来も容易になりましたが、今でも地域によって食や風習など文化にも差異があるので、旅行で地方を訪れた際は、「ここは何道?」という風に考えてみて頂くと面白いかも知れません◎

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植竹 智裕

元・世界新聞ライター。旅人(訪問国はアジアを中心に現在31カ国) 韓国歴は2005年の初海外旅行からスタートし、2012年には釜山からソウルまでママチャリで縦断。 オーストラリアでのワーキングホリデー中、田舎町で日本人ただひとり、韓国人に囲まれて生活したおかげあって2019年に韓国語能力検定5級取得。

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